ポジティブな言葉

ポジティブな言葉で生きれば、人生は前向きなものになる、というのはよく言われていること。

自分もかつて三ヶ月ほど、その通りに実行していたことがあった。

 

いつもニコニコ、ハキハキして。

歩く時も下を向いたらなんかしない。

自分の人生を変えてやるんだって思って頑張ってた。

 

でもこれってストレスに目を向けずに生活することと同義なんですよね。

あるところで緊張の針がプツっと切れました。

そして下を向いてネガティブになった時、たまらなく快感を感じたのです。

 

その時、自分はネガティブに生まれたのだから、ポジティブになろうとしてはいけない、ということを悟りました。

人生とは、世間一般で幸福と言われている環境にフィットしていくことではないのです。

必要なのは、どんな自分でも生きていられる場所を見つけること。

 

変わるのは自分ではない。

ダメなら環境を変える。

 

もっと早くにこの事実に気付くべきだったとは思う。

解散総選挙

朝のニュース。
菅首相の、総裁選より先に衆議院を解散する意向がニュースになる。

総裁選を先送りして少しでも政権を延命する為だー、とか言われてたが、酷い言われ様。

 

少し考えれば、そんな訳ないやんと思うが、視聴者は「保身、最低〜」と納得してしまうらしい。

愚かな国民性だなぁ…。


解散から総裁選まで、たった一ヶ月の延命の為にそんなことして、なんのメリットがあるんだ?

このまま選挙に進めば、自民党が大敗して菅首相の立場はもっと危なくなるんですが?

まだ勝算のある総裁選をやってから、解散する方が楽に決まってるだろう。

 

その後、総裁選の前の解散は菅首相自身が否定。

明日の朝のニュースでは何と説明するんでしょうねぇ?

「自己保身やめた、男らしい首相!」という論調で説明するんですよね?

無題

若手だった頃、憧れた先輩や上司がいた。

自分がその年齢になった時には、きっと並んでいるんだろうと。

 

期待もかけてもらった、機会ももらった。

難しい大病なんか一つもしていない。

両親、親類縁者、すべてまとも。

なのに、今、自分は何故こんなに自堕落な仕事しかできないのだろうか。

 

先のことは全く見えない。

味方になってくれる人はいつの間にか一人残らずいなくなった。

狂人、無能と切り捨てられた。

 

毎日楽しいことは趣味と子供。

これらがあるだけまだいいのかなぁ。

雨上がりの解散

穏健な解散という体でしたが、中身はかなりドロドロしていたなぁと感じた。

蛍原の心中を思うと苦しい。

 

不祥事を起こした宮迫が、テレビに戻ることを信じて、いつでも戻ってこられるように一人で努力していた蛍原。

だって、自分は宮迫がいなければ、ここまで来れなかったのだから。

ここで恩返しや。

 

お笑いコンビの相方として理想的な振る舞いだっただろうと思う。

しかし、宮迫は勝手にYouTubeを始めて、自力で社会復帰。

 

蛍原からすると、「俺のやってたことは何やったんや?」

 

同情して、助けたろうなんて全くおこがましい。

相手は自分一人で生きていける強者やった。

俺のことなんか必要ないんや。

はぁ、それやのに俺は何か頑張ってて、めちゃくちゃ痛い奴やなー。。

 

ここから解散に至る思考は、ちょっとメンタルを病んでるなと感じる。

だって、ここで解散して、蛍原はこれからどうなるんだろうか。

宮迫みたいな生命力は、、ないよねぇ。

慕ってくれる優秀な後輩はいるが、後輩に世話になって生きていける世界ではないよね。

 

蛍原のキャリアとしては、宮迫とコンビを続けるしかなかったように思う。

ロンブーみたいに、YouTube一緒にやったらええやん、と自分なんかは思うが、、コミュニケーションがどっかでこじれたんやろうなぁ。

 

蛍原のこれからの仕事は苦難。

うまくいかないことが多いし、宮迫がいなければ…という目でも見られる。

 

まぁ、、、おっさんの余計な心配です。