人生の目的とは

作家の森博嗣さんが「人生の究極の目的とは自由の最大化である」という風なことを言っていて、これを読んだ時の若き日の自分はすごく腑に落ちたし、人生の色んな選択を自由という観点で見ていた。

しかし、ここに来て、自由を目的とすることについて大きな問題を感じ、この考え方は自分には合わないな、と思い始めた。むしろシンプルに「やらなければならない」ことに支配された人生が自分には合っていると結論している。

 

というのが、自分にはもうやりたいこと、欲しいものがないのだ。厳密には我慢出来る、と言った方が正しく、今欲しいと思っていても、手に入れたらくだらなく思えるものしかないのだ。

その為、やりたいことのない自分にとっての自由を探すとすれば、何もせず働かずに暮らせる自由となる。そしていざ仕事を辞めて何もしない生活が始まれば、目的は死ぬ自由ということになるだろう。

自分には希死念慮は常にあるので、自由を目的にすることは、自分に「死ね」と言っているようなもの。これでは生きづらいに決まっている。

この辛さが始まる前は、まだ仕事に夢を見ていた。夢が敗れたことで自分のやりたいことが死ぬことしかないことに気づいた。

 

しかし、もう一歩、考える過程で、死ぬことが出来ない理由があることにも気づいた。家族の存在である。今は逆にその理由に感謝している。死ぬことが出来ない理由は、自分にとっては死ななくても済む免罪符だった。だから、今は生きていて結構、楽である。