ウクライナ危機に関して思うこと

ロシアのウクライナ侵攻が始まってもう二週間が経過しようとしている。

開戦当初から首都陥落は数時間後といわれ続けながら、予想外のウクライナの抵抗が続いている。

理由としては、ゼレンスキー大統領のリーダーシップと西側諸国からの武器供与、ロシアのお粗末な準備などが挙げられる。

 

この一連の流れの中で、国内でツイッターを見ているとどうにも看過できない意見が目立つ。

「犠牲者を減らすことを第一優先で考えるべきだ」というもので、要はウクライナ国民は自分の命を守るために、祖国を捨てて避難すべきだ、というもの。

日本が侵略されても同じことを考える人が多いんだろうな、と思うと悲しくなってきた。

 

国を守るってそもそもどういうことなのか。そこから考えなければならないほど、実は当たり前ではない問題なのだと思う。

何故自分の命だけ考えて国を捨てることは駄目なのか。

例えば、家族。家に強盗が押し入って、家族を捨てて自分だけ生き延びることはありうるか。あり得ない。

子であれば逃げて助かることが仕事だとは思うけど、親であれば逃げることはあり得ない。

仮にそこで生き延びても、自分が生きている意味の大半が失われることになる。社会的にも抹殺される。

人には自分以外のものを守る方が自分の命よりも優先されることがある。

 

国を守るというのは、その社会性を最も高位に表現する行為である。

自分という個は、日本社会の中で育ち生きる術を学んだ。

日本社会以外で生きる術を持たないし、日本社会の制度や価値観を破壊しうる行為は生きる術を奪う行為に当たる。

だから自分の命をかけて守る意味がある。

また、自分の大事な人が、避難地でなく、自分の育った日本で平和に暮らしてほしい、という願望も動機として考えられる。

 

ただ、グローバル化した日本ではもう難しくなってしまったのかも知れないな、とこの文章を書きながら思った。

海外で普通に活躍できる優秀な人も多いし、家族で海外に住んでる人も多い。

何不自由なくやっていけるなら、そのような人にとっては別に祖国など取るに足らないものなのかも、と。

 

自分を含め、日本がないと生きる意味を見出せない、という日本人はいるけど、すでに少数派だったりして…。