前職と現職の比較

前職

 上長の責任感が強い。問題を未然に防ぐために適切なフォローを入れてくれる。しかしその分、甘えが生じる。問題を放置しても上が解決してくれるだろう、という甘えがある為、人間関係などで困難なことは目をつぶってしまいがち。

現職

 上長の責任感は希薄。相談には乗ってくれるが、基本的に問題が発生しても放置する為、問題が大きくなりやすい。部下を信頼しているのとは違い、部下にもとことん責任を取らせる、という考え方。甘えが無い分、自律的にはなれる。

 

前職

 能力が低い人に合わせて仕事が計画される。みんなを活躍させようという優しさ。しかし、組織全体の能力が低くなってしまう。

現職

 能力が高い人に合わせて仕事が計画される。その為、落ちこぼれはとことん落ちこぼれる。しかし組織としてはとても強い。

 

昇格試験、落ちた

昇格試験、落ちた。二次の面接試験で完璧な手応えを感じていて、こりゃ確実に受かったな、と思ってたら落ちた。

自分が感じた感覚と、面接官の抱く感覚が結構違うのだな、と思った。振り返って見て、正直に自分のことを話したのだが、それを見て実力が未達だと判断されたと思う。自分の強いところにフォーカスして話した。弱みについては正直に自分の課題だと話した。割と印象は良かったのではないかと思う。だが、ポテンシャルで合格にされるほど甘くはなく、落ちたのだ。

仕事に対してほとんど自信がなく、昇格の話が来たこと自体、嫌だった。それでも断らなかったのは自分の弱さだ。煽てられれば木に登ってしまい、大きな失敗をする。この歳になっても背伸びをしてしまうのが恥ずかしい。そうした自分に真っ当な評価をされて、今回のことはすごく安心した。初めて過大評価の檻から抜けることが出来たのではないか。これまで自己認識と社会からの認識のズレがこの先もずっと続くのかと不安しか無かったから。

 

文化に馴染めない問題について

newswitch.jp

「文化に馴染めない」は非常に気持ちが分かるだけにそういう人が多いことに安心感を覚える。僕の今の職場はすんなり馴染んで活躍できる人が多いので、ひどく劣等感を覚えたものだ。

ここで前いた会社と今の会社の比較をしてみたい。前いた会社は縦割り組織だった。隣の部署の人に仕事を頼みにくく、必ず上司を通さなければならなかった。しかし、責任範囲が明確だったので、何をしなければいけないかがはっきりしていた。また、上司に面倒見のいい人が多かったので、曖昧なことでも方針を決めてくれた。

一方、今の会社は横の繋がりが強い。他部門に仕事を頼みやすく、そう簡単には断られない文化。頼まれることも多い。非常にやり易い文化ではある。しかし反面、周りを巻き込むことが当たり前な分、仕事に求められる成果が壮大なものとなる。会社としては良いのだが、働く個人としてはしんどく感じる。特に連日深夜残業して、コミュニケーション取るのが億劫な時、とても辛いし、うまくいかない。

そして仕事内容。前にいた会社は、設計で創意工夫を商品に反映させて、それが付加価値になっていた。取りうる手段が無限にあり、その中から最適なものを見つけることにやり甲斐が感じられた。一方の現職は、商品の設計での創意工夫は殆ど無い。言い換えれば、設計での付加価値が無い。ひたすらやらされるだけの仕事が多い。設計以外の周辺技術での工夫はあるが、前職の仕事と比べると地味で自由度も少ない。

あとは新卒と中途での扱われ方の違いもひしひしと感じる。新卒は我が子のように可愛がられるが、中途って養子みたいなもんで、冷たく言えば、労働力としてしか見られない。例をあげれば新卒はミスっても味方する人がいるし、すぐに挽回できる。中途にはそんな信頼関係は皆無でミスれば役立たずの烙印をポンと押され、一度傷ついた人間関係はなかなか修復出来ない。

仕事の山は乗り切れた

転職すべきか留まるべきかを迷いながら、何とか留まって今がある。

去年の12月くらいに、プロジェクトの佳境にもかかわらず仕事をしたくない気持ちが最高潮になった。自分がいないと大きな迷惑を掛けることは分かりつつも、人間関係に耐え切れなかった。

しかし、その時に自分の興味のある分野の仕事をすることができ、転職を留まった。やはり自分は技術が好きであり、エンジニアという仕事が好きなのだと思った。

そこから先は少し持ち直して仕事に邁進した。幸いにも仕事はとても忙しかった。しかし、エンジニアというよりはほぼ生産管理の仕事だった。業務知識的に自分にしか出来ない内容だった為、やり切ったことに対して達成感はある。何とか責任は果たしたぞ、と。

今、その仕事がひと段落しようとしていて、また、転職すべきかどうかを考え始める自分がいる。

この一年と数ヶ月という期間、僕がしてきたのは何だったのだろうか? 仕事を右から左へ、誰かから誰かに、ひたすらバトンタッチするだけだった気がする。自分が生み出したと言える付加価値があまりに小さくて、この仕事を続けて得られるものがとても少ない。

かと言って何かクリエイティブな活動をするかと言えば、そんなにアクティブな性格ではない。課題は与えられたい。だが、今の部署でそのような都合の良い仕事があるかと言えば全く無いわけで、だから困っている。

もう一回転職しようかな、と思う。今よりも自分のやりたいことができる場所へ。

コーナーノッチは良い

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 iPhoneXのノッチデザインはとても格好悪いと常々思っていたのだが、このコーナーノッチは良い。とても良い。セルフィで視線がちょっとズレるかも知れないけど、ど真ん中に置くよりは遥かに優秀なデザインだと思う。

そもそも僕はセルフィ使わないので、セルフィ自体無くしてくれても良いくらいなのだが、スマホのユーザーのうちの多くがインスタグラム、フェイスブックのユーザーであり、セルフィを無くしたスマホの実需は多くは無いのが実情。折衷案としてこのコーナーノッチは良い解決策になっているように感じた。これなら変なスマホ持ってるなと白い目で見られる事もない。

それにしても弱小スマホメーカーに過ぎなかったXiaomiからこんな革新が生まれるとは驚き。アップルよりかっこいいやん。

居酒屋バイト芸人

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初見は「ああ、これは客が悪いな」と思ったけど、バカ呼ばわりされるほどではなく、店側の対応でなんとかすべきだと思った。別に客の注文したものや、席を覚えろとかいう話じゃなく、場の雰囲気を壊さないように聞き直すコミュニケーション能力の問題。芸人なんだから当然資質として持ち合わせてるはずだけど、この人はしかめっ面で「はい?」とか普通に言ってそうやね。

事業として売り上げや利益を考えたら、こういう客は許容しなければならない。何故ならチェーン店からお高めの居酒屋まで、どの価格帯に来る人でも一定の割合でこういう人たちはいるし、この微妙なラインでの選別は現実的ではないため。客のこの手の行為で「お引き取りください」は非常に難しい。

 ムカついた、腹が立ったってだけで思考を停止してしまうところが最近のバイトの残念なとこ。接客業の最大の仕事はこういう難しい客の対応のとこなんだけど、それが分かっておらずただ皿を運ぶ作業者になってる。大人しい客を基準に仕事があるのではなく、様々な基準の客が来ても円滑にサービスが出来るようにするのが本来の彼らの仕事。むしろ、これから接客業でオートメーション化が進む中で、わざわざ店にやって来るのはそういう面倒臭い人達だけだよ?

まあ、バイトにそんな視点や思慮は期待できないんだけど、社員だと口が裂けても言えないレベルの愚痴だわなって思った。

仕事と父親の切り替え

仕事でイライラすることがあると、家でもイライラしていることが多い。仕事には面白さややり甲斐も少しはあるが、同時に不満と不安が同居している。仕事の内容より前に、人間関係がやっぱりしんどい。あからさまに嫌味な同僚はいなくなったが、合わない奴なんてそこら中にいる。

そういう仕事のイライラを抱えながら平日を過ごすと、子供のわがままでイタズラな態度に耐えられず怒鳴ってしまう。子供を怒るたびに自分が嫌になる。家庭のために仕事をしているのに、何故自分は家庭を大事に出来ていないのだろうか、と。

本当は子供ともっと良い関係でいたいのに、仕事で理想を追っていると、どうしても子供のスピードに合わなくなってしまう。

なんとか今を変えたいなと思う。今という時代、イクメンという言葉があるくらい、父親はもっと優しい存在なんじゃないだろうか。そういう現代的な暮らしが出来るくらい、拘束時間も短く、ストレスのない仕事がしたい。が、嫁さんは許してくれないんだろうな。