[読書の感想] 葉桜の季節に君を想うということ
いつものようにフィットネスクラブで汗を流していた成瀬将虎は、ある日後輩の芹澤清から、彼が密かに想いを寄せる久高愛子の相談に乗ってほしいと頼まれる。愛子は、家柄の手前警察には相談しにくいので、轢き逃げに遭い亡くなった身内が悪徳商法業者・蓬莱倶楽部によって保険金詐欺に巻き込まれていた証拠を掴んで欲しいと依頼してきた。
ハードボイルドな探偵物語と、人生に傷ついた少女が愛情を通して立ち直っていく話、、かと思いきや、最終章で全ての登場人物が高齢者だったというびっくりするどんでん返しが起きる。
叙述トリックというオチは聞いていても、この返しは想像出来なかった。
あっぱれ。
劇中で伏線らしきものは沢山ある。
例えば、節子の鬱屈した話が長々と挿入されているところ。
詐欺に騙され、犯罪の片棒を担ぐ高齢者、特にそれが女性であれば、悲惨すぎてもう脇役としか見れない。
しかし、それにしても彼女視点の挿話が長い。
彼女がキーパーソンとして本筋に関わってくることは間違いないと読みながら思う。
名前を偽ったりすることから、主人公視点の物語の中に既に登場しているのかも?ともちらっと頭を掠める。
だが、こんなに年食った魅力の無い女性はいないよな、とすぐに打ち消す。
詐欺グループを裏切って主人公の企てに参戦するのかなぁと、いかにも陳腐な絡ませ方しか私には思いつかない。
それが最終章で、主人公と純愛を繰り広げてるヒロインさくらが彼女自身だと分かる。
ヒロインのさくらの年齢は私の頭の中では20代か30代前半くらいの可愛らしい女性だったから「どひゃー」っとした。
そこから主人公含め、登場人物の本当の姿(年齢)が分かっていく。
特に妹の綾は私の中ですごくチャーミングなキャラクターだったので、実年齢を知りガックリきた。
思うに、叙述トリックを利用して、高齢者への偏見を知らしめることを目的にしていたように思う。
世間は高齢者がこんなに活発だとは思っていない。
高齢者の世界とは現役世代にとって、異世界である。
それも悪い意味での異世界だ。
まず興味が無い。
街中、旅行先、電車の中、色んな場所に彼ら、彼女らはいるのだが、気にした試しがない。
おっさんが若い女性へ抱くギラギラした興味の対極にいるのが彼らだ。
同世代の成功者に抱くコンプレックス、落伍者に抱く恐怖や優越感、その対極にいるのが彼らだ。
我々にとっては、電車の中で席を譲るか否かの道徳心を試されるだけの存在、完全なる脇役である。
また、身近な高齢者については、こちらは意識的に目に入らないようにしているのではないだろうか?
例えば寝たきりの看護問題、職場にいる定年間近の口煩い老害。
負の側面のイメージが強すぎて、ハマったら最後と言わんばかりに私達は目をそらす。
あまりに正直に書きすぎたかも知れない。
世の中にはそうでない人もいるだろう。
だが、多くの人は私と同じ印象を高齢者に抱いていると思う。
叙述トリックは、そんな我々の恥ずべき既成概念を白日の下に曝す。
そして、自分も高齢者になるのだということにも思い巡らせる。
そうなった時に、この小説の登場人物たちのようにキラキラとした毎日を過ごすのだろうか?
それとも、今、自分が持っている暗い負の側面の方へ行くのだろうか…?
最後に物語の終わりに記されていた、とても勇気づけられる一文も載せて、この感想を締めたい。
知っていた言葉だけど、この小説の最後だからこそ、とてつもなく輝いて見えた。
人生の黄金時代は老いていく将来にあり、過ぎ去った若年無知の時代にあるにあらず