仕事の三要素

過去に何かで、「仕事とはお金、やりがい、人間関係である。このうちの2つがなくなると仕事を続けるのが難しくなる」と読んで、あぁなるほどなーと思った。

しかし、今の自分は「お金」しか無い。なのに、今の仕事にしがみつこうと思っている。理由は単純に、他の仕事をやったとしても「やりがい」や「人間関係」というものは手に入らないのが明白だからである。

なので、少しでも給与が高くて、人間関係も希薄な今の職場がベストな選択、ということになるのだ。法則崩壊。2つ失っても続けられる人はいるんですよ。

天命とは

天命という言葉がある。天から与えられた使命という意味である。孔子の言葉でも有名ですね。

最近、私にとっての天命が何なのか、おぼろげながら見えてきた気がする。

私は愚かな行為で自分の人生を台無しにしてしまい、残りの半生をひたらすらに惨めに生きることとなった。

この失敗を誰にも味わって欲しくないと思う。特に自分の家族には。このことを伝える為に私は生かされているのだと思う。

人生の目的とは

作家の森博嗣さんが「人生の究極の目的とは自由の最大化である」という風なことを言っていて、これを読んだ時の若き日の自分はすごく腑に落ちたし、人生の色んな選択を自由という観点で見ていた。

しかし、ここに来て、自由を目的とすることについて大きな問題を感じ、この考え方は自分には合わないな、と思い始めた。むしろシンプルに「やらなければならない」ことに支配された人生が自分には合っていると結論している。

 

というのが、自分にはもうやりたいこと、欲しいものがないのだ。厳密には我慢出来る、と言った方が正しく、今欲しいと思っていても、手に入れたらくだらなく思えるものしかないのだ。

その為、やりたいことのない自分にとっての自由を探すとすれば、何もせず働かずに暮らせる自由となる。そしていざ仕事を辞めて何もしない生活が始まれば、目的は死ぬ自由ということになるだろう。

自分には希死念慮は常にあるので、自由を目的にすることは、自分に「死ね」と言っているようなもの。これでは生きづらいに決まっている。

この辛さが始まる前は、まだ仕事に夢を見ていた。夢が敗れたことで自分のやりたいことが死ぬことしかないことに気づいた。

 

しかし、もう一歩、考える過程で、死ぬことが出来ない理由があることにも気づいた。家族の存在である。今は逆にその理由に感謝している。死ぬことが出来ない理由は、自分にとっては死ななくても済む免罪符だった。だから、今は生きていて結構、楽である。

コロナ鬱3

コロナ鬱シリーズもついに3。

すっかり記憶になかったが、ゴールデンウィークあたりはめちゃくちゃ更新してたんだな、自分。

改めて読み返して見ると、今考えてることとほぼ進歩は無く、同じことをぐるぐるぐるぐる考えていたのだなぁと、感じた。

自分は精神的に窮地に追い詰められると、何か記録に残さずにはいられないらしい。

これは精神療法的にはストレス低減に効果的なので、本能的に習得したんでしょうね。

 

さて、シリーズ3で書きたいのは感謝の気持ち。

鬱が極まったのか、いまは死なずに生かされてる自分を支えてるものの正体について、考えらようになった。

その一番は、息子の存在である。

書いてるだけで感謝で涙が出てくる状態なのだが、息子が生まれてきてくれたこと、息子の世話をすること、息子と一緒に遊べること、その全てに感謝している。

 

考えてもみると、社会人としてだらしがなく、仕事では何一つ誇れるものがない自分にとって唯一の取り柄が息子の存在であり、彼のことを思う親心だと思うのだ。

そういうものを自分の人生にもたらしてくれたことに無常の感謝を感じた。

 

仕事のことはこれから先の未来が全く見えないし、そういう状態を招いてしまった自分の馬鹿な選択にほとほと呆れ返っている。

あまりに間抜け過ぎて誰にも相談できない。

世の中の癒し系の書物も、全ては悲運な環境について書かれたものであって、自分の愚かな行動を救ってくれる物は何もなかった。

 

自分の選択は、いっときの感情だったとも思えず、何度も繰り返してきた中で、これまでは運良くくぐり抜けてきたが、ついに出てしまった悪い目のようだ。

つまり、恒久的な自分の欠陥であり、救いようがない。

正そうとしてもきっと繰り返す。

自分の人間性の問題なのだ。

 

こんな自分が何の縁があったのか、結婚してしまい、更に授かってしまった子供。

神様がいるのなら、こんな自分に不釣合いで、間違いとしか思えないほどの幸運だったなぁと思う。

 

子供を産み育てることで責任を果たす、というのは人にとってハンディのようで、何も誇れるとのがない自分には生きるための浮き輪だった。

これがあるから自分はこれまで手に入れてきた色んなことを失っても、生きていけるだろう。

 

人生って手にしてみないと、何が良いものか分からないものですね。

てっきり、自分は仕事を生きがいにするのかと思ってた。

コロナ鬱2

動悸が酷くて神経が疲れるので、太田漢方胃腸薬を飲んで、毎日を耐えている。

 

リーマンショックの時は金融の問題だったので、実経済には大した影響は無かった。

でもコロナは違う。

旅行、空運、陸運、海運、外食、と多くの産業が二度と立ち直れないくらいのダメージを受ける。

バランスシートの問題ではなく、実需が喪失する。

それも景気循環ではなく、恒久的に。

職にあぶれた失業者により賃金は下げられ、労働者はみな生死をかけた苦しい戦いを強いられる。

蹴落とされてきた自分はどうやって生き残れるのか。

そして、家族に対する責任をどう果たすのか?

 

嫌な思考ばかりがグルグルと回って、本当にしんどい。

何で自分は生きてるんだろうな。

辛いことの方が多いと分かってたのに。

資金管理法

私が実践している株式相場の資金管理法。

 

・使っちゃいけないお金は証券口座に入れない。

・証券口座にあるお金はゼロになるまで株を買う(常時フルポジ)。

 

以上!

シンプルイズベストォ!

 

補足すると、個別株で欲しいものがない時は、TOPIXETFを買う。

あと、個別株を売って一時的に現金が出来た時も同ETFを買う。

逆に欲しい株が見つかったら、信用買いでINし、約定してからETFを売って現引きする。

ETFがない時は買わない。

 

なんでフルポジにするかの理由はたくさんある。

 

・資金効率を最大化したいから

長期的には株資産は年率7%。

現金ポジションを作ると、それだけ利回りは低下する。

 

ベンチマークTOPIXに勝つため

バリューファクターの統計的優位性は1-2%しかなく、現金ポジションを10%でも作ってしまうと、霧散してしまう

ベンチマーク自身を買うことでヘッジする必要がある

 

・相場観は当てにならない

私を含めた市場参加者の総体が現在の価格。

先行きの予想が正しければ正しいほど、市場は価格を織り込んでおり、現金ポジションを動かすのは損する確率の方が高いと考える

コロナ鬱

コロナ鬱が深刻。

 

職場の経済状況が破滅的なので、職場の雰囲気が悪すぎる。

年寄りで無能なおっさんほど、ネガティブ。

ネガティブな感情に当てられるのは非常にキツイ。

自分はつくづく弱い。

 

株式相場は自己責任で収益を得られるので楽しい。

生活できるくらい金を稼げるようになれんかな。