父の仕事
子供の頃、父が働いているという印象がなかった。常に趣味の釣りや木彫り細工ばかりやっていた。
小4で父について作文を書く時も、同級生は父親の仕事について書いていたが、あまりに仕事の印象が薄いので、自分の作文タイトルは「多趣味な父」となった。
仕事していない、という訳ではなく、力の入れ方が完全に趣味に傾いていた。自営業なので、人よりも自由な時間があり、趣味にかけられる時間も多かった。
時が経ち、自分が父と同じような年齢になると、自分もやはり趣味人になった。若い頃は仕事に命をかけていた時期もあったのだが、思いがけず、こんな状態に落ち着いた。
自分はサラリーマンで父より自由は少ないにも関わらず、忙しい仕事から暇な仕事に転職し、好きな趣味を満足いくまでやる、という生活になっている。
私の息子も、私と同じように父が仕事をしていないなと思ってるのだろうな。
ひとつ違うのは私は自分の趣味に息子をかなり巻き込んでいる、ということ。私と父の関係性は赤の他人という感じだったが、私と息子の関係は友達に近い。ずっと親子で共通の趣味を楽しめれば良いなと思う。
雑感
人間関係が上手くいき、やっている事が性に合っていれば、仕事は毎日楽しいだろう、と若い頃は思っていた。
しかし、そんな事は自分には無関係だから考えても仕方がない、と思うようになった。
その代わりにどうやったら、この嫌な仕事から自由になれるかを考えるようになった。
仕事について、楽しいと思える事が日々ひとつひとつ失われていっている。
毎日が成長と思っていた頃とは違う。
eBikeを買って
ミヤタのクルーズというeBikeを買った。20万円もした。しかし、大満足である。
買うにあたっては類似の商品をいろいろ考えた。
安さで言えばPanasonicが良いのだけど、シンプルにダサい。
デザインという意味ではなく、ブランドがダサくて、Panasonicを乗っている自分が凄くダサいと思った。
同様の理由であさひのPBも却下。
折角高い買い物をするなら妥協すべきでないと思ったのだ。
ミヤタはスポーツバイク界隈では、知る人ぞ知る名ブランド。
デザインも良く、インプレッションの評価も高かった。
上を見ればキリがないが、スポーツバイク入門者としてはギリ手が届くかな、という値段だった。
買って見てからは雨の日以外は毎日乗ってる。
ママチャリと違い、摩擦音が少なく、慣性でどこまでも伸びる。
河川敷がお気に入りのコース。
仕事終わりに夕日を背に颯爽と走る。
電気のアシストでいつまででも走り続けられる。
誰にも邪魔をされない幸せな時間だ。
自分のこれまでの人生は、お金を稼ぐことにリソースを使い過ぎていた。
逆にお金を使うことにはほとんどリソースがさけていなかった。
車選びが最たるもので、もっと色々と見る時間があれば、欲しくてたまらない一台が見つかったのではないだろうか。
子供との思い出には金を使う割に、自分のために何が欲しいかというのをずっと探しあぐねていた。
eBikeを買ってみて、自分はお金を使う事が好きなんだと気付く事ができた。
あとリタイア後の過ごし方も朧げながら見出せた。
ウーバーイーツで日銭を稼いで生きたい。
人間関係のない肉体労働。
自分の運動により対価を得られれば、これほど楽しい事はないんじゃないか。
どんどん落ちていく
どんどん深みに入り、気分が落ち込んでいる。
こんな時は静かに目を閉じて、深呼吸をする。
すると、少なくともフィジカル面では、気持ちは落ち着く。
フィジカルが落ち着けば、メンタルも落ち着いてくる。
人間は単純な生き物だ。
プレイスオブピリオド
プレイスオブピリオドという名曲がある。
「ひぐらしになく頃に」のPS版か何かの主題歌なのだが、これが名曲すぎて泣ける。
死にたくなるほどの苦しい人生を歩んでいる人が、何とか踏ん張ってる歌だ。
この歌の主人公と同じく、何がおかしくて自分だけが、こんなに苦しんでいるのか分からない。
人生の選択肢を大きく誤ったのがいつなのかが分からない。
何が自分をこのような人生にさせたのか。
最終的には不運としか言いようがない。
苦しさから解き放たれる日は来るんだろうか。
未来の自分にそこだけを聞きたい。
過去の日記を読む限り、この無限に感じる苦しみも、おそらく一過性のものなんだろうな、という気はするが。
苦しい日々
動悸がひどくて、毎日がしんどい。
仕事暇だし、できれば休みたいのだが、それすら踏み切れないほど、やる気が出ない。
ひたすら眠い。永遠に眠っていたい。
忙しい
天国のようなリモートワークから一転して、色々な仕事が入り、忙しくなっている。
長い休みでボケボケなところで、非常にストレスが溜まる。
思うに現代人の仕事での苦しみとは、理不尽な変化だと思う。
仕事の質と量が突然変化するストレスの対価が給料なのだ。
逆に何も変化がないのなら、どんだけ長時間働いたとしても、ストレスは知れていると思う。
最近、学歴に関する呪いについて考えている。
学歴が高いばかりに、ストレスの高い仕事につかざるを得ない呪い。
理系の科目の勉強は好きだったというだけで、旧帝国大学に入るもんじゃない。
何か人生の目的があって、その目的から逆算して大学を選ばないといけない。
良い大学に入ることや、良い企業に入ることが幸せには必ずしも繋がらない。
お金があることも、幸せには関係ない。
そんな当たり前のことにアラフォーで気付いた。