仕事は以前ほど辛くなくなった

去年の12月くらいまでは仕事を辞めたくて仕方がなかったのだが、今はその症状が大分収まっている。

変化は向こうからやってきた。まずは苦手な人が他部署に異動した。そして、そこそこ仕事に慣れ、成果を出せるようになってきた。また、周りのミスが相次ぎ、それまで私の不出来を野次ってた人も仕事のことで他人のことを言ってられなくなった。そんな感じで職場は少しずつ、私にとって過ごしやすい環境に変わっていった。

こうなってくると去年自分の書いた記事が恥ずかしく思えてくる。精神的に追い詰められると人はこうも変わってしまうのだなと思う。性格に難のある人をこれまで何人も見てきたが、そういう人達の心理も今は寛容に受け入れられ、良いところだけを見ることができる。人生の中で、私はいろんな立場に置かれる中、様々に学ぶことができた。

今も仕事を辞めたいかと言うと、さほど辞めたいとは思わない。が、今の職場での将来像は相変わらずぼんやりしている。やりたいことは朧げながらあって、それは転職前の職場でやっていた内容に近く、だから仕事内容を変えるために転職はしたいと思っている。

だが、転職先でまた同じように苦労するのかと思うと、尻込みしてしまう。人間関係や社内インフラの面で、絶対に同じような通過儀礼を味あわなければならない。折角やり過ごしたのにまたか…と思うと、自分のやりたいことなんか大した意味はないんじゃないか、このままつまらないなりに平和に過ごそうと思う自分がいる。

同僚が亡くなった

職場の同僚がなくなった。


遺書は見つかっていないものの自殺らしい。
死の理由は謎、とされている。

 

新卒以来同じ会社で、ほとんど同じ領域で経験を積んだ人物。
上からの信頼も厚く、大きなプロジェクトのリーダーも任される程。
年齢が僕と非常に近いが僕とは真逆で、キャリア形成にとことん成功していた。

 

彼とは別チームながら接点はあり、業務上のことで教えてもらうことが少しあった。
彼は当時常に忙しくてイライラしており、それを相手にぶつけてしまうタイプの人だった。
席は近いけど正直なところ、なるべく関わらないようにしていた。

 

最近は二年近く続いた超巨大プロジェクトが収束し、残業もほぼ無くなっていた。
だから、自殺原因は、過労ではないと認定された。


が、僕には彼は仕事に潰されたような気がしている。

 

自分の生活のすべてを捧げなければ成り立たないようなプロジェクト。
それが無事に終わった時、達成感よりも虚無感の方が勝るんじゃないだろうか。

 

レジ係の「やめてほしい」こと

getnews.jp

これを見て、もやもやしたのは私だけだろうか。そんな細かいことくらい文句言わず対応してくれよ、と思った。私も学生時代にレジをやっていたこともあるんで、分からなくもないんです。仕事は効率よく終わるに越したことはなくて、どんくさいお客のせいでリズムを乱したくない、と。

でも、所詮バイトの人にこんなことを言うのは酷だが、コンビニという小売組織において、この指摘は無いなと思う。理不尽な要求をしてくる客ならまだ分かるが、今回のケースはそれには全然当たらない。むしろ優良な客だと思う。こんなことを不満に思うくらいなら接客やめた方がいいと思う。こんな店員だったら無人レジの方が、客もまだ安心できる。

そもそもレジ係が単純な作業して金を稼げるようにするために、それこそ血を吐いて頑張ってる人がいるんですよ。利益率の高い商品の開発、仕入先との価格・納期交渉、店舗不動産の購入、店舗のレイアウト設計、POSシステムの構築、そして、バイトの接客マニュアルの作成。それらの仕事に付随して職場で行われている心理的な駆け引きは、コンビニ店員が日々抱える不満とは比較にならないくらい複雑で厄介だ。目の前の寡黙なお客さんを裁くだけの単純労働者のとは訳が違う。

レジ係の人の仕事があるのは、そうしたバッググラウンドを整えた人たちがいるからであって、客はそういう人たちに金を払っている。そういうことを考えるにつけ、本来客が払わなくていい金をむしり取っている寄生虫の単純作業者が甘ったれたこと言うなよ、と、私なんかは思う。

東芝の西田元社長

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僕が東芝に入った時の社長がこの人だった。突然の死に驚いている。

入社当時、社会人として右も左も分からない状態で、この人の存在というのは圧倒的だった。直接本人に会ったのは入社式だけだったにも関わらず神様のように僕は捉えていた。

 

西田語録のようなものを研修の度に教わった。「これからの企業に必要なのは応変力。変化に対応する力だ」とか「イノベーション乗数効果」とか、どれも真っ当なことを言っていた。「TOSHIBA Leading Innovation」っていうのが確かこの人が社長の時にできたスローガンだったと思うのだが、何ともかっこよくて、東芝で働いている時は、このスローガンを時折思い出して、誇らしい気持ちになった。京セラには京セラフィロソフィーというものが根付いているらしいが、東芝ではそれが西田フィロソフィーだった。どの会社でもそうだと思うが、会社では出世した人が正解だ。この人を基準に僕の社会人としての価値観は形成されたと言っても過言ではない。

社長が西田さんから佐々木さんに、佐々木さんから田中さんに変わった後も同じだった。社長によらず、西田さんが一番偉いし、西田さんの考えが社内には根付いていたように思う。

 

それが、不正会計による大革命。最初、僕はこの不正会計の全ての原因は佐々木さんにあると思っていた。佐々木さんの時代は市況が悪かったこともあるが、コストカットばかりだった。それも前向きに効率化を目指してのコストカットではない。やらなくていいことはやらないという感じのコストカットだ。当たり前やん?って思うかもしれないが、やらなくていいと言ってしまうと大概の改善活動はやらなくていいことになる。

将来モノになるかも知れないことを含め金のかかることはとにかくさせてもらえなかった。残るのは雲のように捉えどころのない抽象的な活動か、もしくは客先対応などの利益の為に急ぎでやらなければならないことだけ。この人の元でいつの間にか、変化とリスクを極端に恐れる企業文化が醸成されたように感じる。モノづくりの企業として、設計過程でリスクのあるものは当然出てくる。それを「とりあえず作ってみよう」という気概がなくなり、ひたすら大丈夫と言える根拠を考える作業が多かったように思う。その結果としてモノづくりの品位は上がるし、完成度も上がる。しかし、マージンを取り過ぎて肝心の付加価値がついてこない。

だから僕の中で佐々木さんはロクでもない人だと思ってた。実際西田さんも嫌ってた。 

 

しかし、ウェスティングハウスの買収はどう考えても西田さんの責任。不正会計も東芝崩壊の第一章に過ぎず、不正会計で本当に隠したかったのはウェスティングハウスの失敗だったというのだから、西田さんに経営者としての落ち度があった点は誰がどう見ても明らか。西田さんはウェスティングハウスの買収時点で、原発の今後の展望をかなり良いものとみており、それが地震で崩壊したのは全く予想できなかったと。でもね、もともと「企業には変化に対応する力が必要だ」と言っていた人が何でこんなことを言うんだろう。風向きが悪ければ、どうにかするのが経営者だ。それは何もごり押しで原発を売るということではなく、撤退するという手段でもいい。少なくとも、むちゃくちゃ楽観的な予測を継続することではないでしょう。

西田さん好きの僕もさすがに自分の間違いに気づいた。価値観が180度変わった事件だったと言っていい。このあたりから東芝の上司の言うことが世間一般で見て本当に正しいことなのだろうか、とすら思った。だって、東芝の基準で出世したっていうのはイコール西田さんの考えに沿っているということなんだから。

 

ここらへんで結論らしきものを書きたいところだが、何も思い浮かばない。とりあえず、西田さんにお悔やみを申し上げます。あなたはミスター東芝でした。あなたがいなければ、私は東芝には入っていなかった。今はまったく尊敬できない人になりましたが、東芝に入って色々と経験させてもらったことは、西田さんとは別次元の話で後悔していないし、経験させてもらって心の底から良かったと思っている。だから、そうした場にめぐり合わせてくれたことには凄く感謝している。

東レの不正問題で思うこと。どこでも同じことやってるよ。

dot.asahi.com

 

この記事をみて思ったのは、まさに自分の働いている会社も全く同じことをやっているんじゃねえの、ってこと。うちだってモノづくりとしての品位に確証があれば、客には平気で嘘をつくし、バレなきゃ商売のためにデータの改竄もする。難易度の高いビジネスにはリスクがつきものだし、時間の無い中で人為的なミスもあるし、全て真っ正直に報告するなんてとても出来ない。そのことはビジネスをやる上で当たり前だと思ってた。が、そうじゃないんですね。

 

転職前の会社は結構、馬鹿正直だったんですよ。客を騙すような真似が出来ない。だから、リスクのある決断が出来なかった。結果として価値のある仕事が出来ず、業績だって低迷を極めた。そこから、真逆の今の会社に来て、コンプライアンス糞食らえ、でも利益は出てるでしょ?ってスタンスだったので、最初はビックリしたんだけど、徐々にでも仕事ってそんなもんなのかなと思い始めていたところでのこのニュースでした。

 

国の法令遵守とか、人命がかかっているとかならまだしも、顧客に出すデータの不正ですら、明るみに出て問題視されるっていうのは当たり前のようで、全然当たり前じゃなかったわ。そのことによって、経営トップの首が飛ぼうとしている。うーん、これは自分が内部告発しても同じことが起きるだろうし、派遣さんとかが一揆を起こすことだってできる。

 

仕事でストレスが異常に溜まってるところなので、このニュースはちょっと色々と楽しい妄想が出来る良いネタだった。まさに弱者と強者の逆転。革命が起き得るんじゃないかと。まあ、そんなことを考えてるから仕事は全然うまくいかないんだろうなぁ。あー、最近な、凄く辞めたくて、死にたいです。何で結婚したんだろ。何で子供なんか作ったんだろ。こんなに生きづらいのに、余計に荷物を背負いこんでどうするつもりやったんだ、私。

今週のお題「今年買ってよかったもの」

今週のお題「今年買ってよかったもの」

今年の三月だが、軽自動車を買ったことが、最近のもっとも良い買い物だったと思う。


車にはこれまでずっと乗りたい、乗りたいと思い続けてきたのだが、首都圏に住んでいたこともあり、駐車場代の高さと、そもそも電車網が発達しており必要がないということで買う踏ん切りがつかなかった。カーシェアした方が安いし。


ところが、転職を機に関西の片田舎に来たことで状況が一変。カーシェアがない!電車でショッピングや遊びに行くにも、徒歩を要する場所が多い。子供が走り回る年齢になったことも追い打ちをかけた。ベビーカーに乗ってくれない。


妻は買うことにはずっと反対していたが、反対を押し切って購入。結果として、もう手放せない存在になった。


まず、行ける場所は増えた。電車やバスでは行くのが面倒なところにも容易にアクセスできる。ビッグなショッピングモールや、自然いっぱいの公園。こういうところに行けるようになったのは車があったからこそ。


そして、車の運転自体が楽しい。車の運転をしながら聞くラジオ番組が自分の何よりの楽しみになった。心から好きと思える趣味ができたことは本当にうれしかった。


最後に、車がなければ保育園にも通えず、妻に仕事をしてもらうこともできなかった。生活を一人で支え続けるストレスは相当しんどかった。そう考えると、車購入の判断が、悪い状態を抜け出すきっかけになっていたんだなあとつくづく思う。

保育園問題解消

2ヶ月通った保育園を卒園できることになった。この保育園、非常に条件が悪かった。

まず、送り迎えは片道30分。送り迎えで夫婦合わせて、1日2時間も運転に拘束されていた。

もう一つはアレルギー対応をしてくれない園だったこと。うちの子供は卵アレルギーなので、毎日お弁当を作らなければいけなかった。

この保育園の頭がおかしいところは事前に市役所に届けている情報ではアレルギー対応と書いてあるのに、対応してくれなかったこと。卵アレルギーって全然珍しいアレルギーでもないのに。

そのことを指摘したら園長から逆ギレされてモンペ扱いされて、凄くムカついていたのだが、ここ以外に預けるところがなかったので泣きながら預けていた。

この暮らしは来年の4月まで少なくとも続くはずだったのだが、なんと予約申し込みしていた近所の保育園に空きができたのだ。行き来にかかる時間は5分…。

しかも、給食のアレルギー対応もしてくれるらしい。アレルギー対応の方はまた直前で引つくり返されないとも分からないが、とにかく、1日2時間の拘束が無くなった。

車の運転は好きだし、自分にとっては息子と過ごせる貴重な時間だったので、寂しくはある。だが、このせいで仕事に制限があったのも事実。この転園により、転職も考えることが出来る。

今の職場に移って1年。長時間労働で体を壊しかけた時期もあった。仕事内容も、最初に自分の思い描いたようなものとは違っていた。

年齢的に求められるレベルが高いわりに期待に応えられず、居心地の悪さをずっと感じていた。

何とか役に立とうと頑張った。その結果としてスキルは身についたし、成果も出した。チームの中で自分の役割も持てている。

しかし、それでもここに勤め続けるよりも、仕事内容を変えた方が良いと思っている。

その為の選択肢がようやく出来た。動こう。